『その男の心は荒い。風より波よりさらに荒い』
……ハイネ「海辺の夜」

 港街を見下ろす丘に、マキシは一人佇んでいた。時折、水平線へと視線を向ける他は、無言で海からの風に身を任せている。ここはインド東部に位置する貿易港、海を臨む異国の墓地である。
 決して優しくはない、しかしなつかしい潮風が頬をなぶり、マキシはこの地に眠るともがらのことを思う。仲間として、家族として、かけがえのない年月をともに生きた者達。明日を知らぬ海賊稼業、海に散るなら本望であったかもしれぬ。だが彼らは異形の者達の手にかかり惨殺されたのだ。その無念はいかばかりだったろう。

 仇は、俺が討つ――。復讐の誓いこそが、彼らへの手向けである。一度はしくじった仇討ちを次は必ず成し遂げる。その決意を新たにし、彼の墓参りは終わった。しかし、マキシはその場を動かなかった。去りがたい。その念が彼を引き止めていた。なぜだろうか? 待っているのだ。誰かを待っている。だが……いったい誰を?
 自分でも分からなかった。心に引っかかる何か。いくら思考をめぐらせてみてもその正体は見極められない。いい加減にして引き上げよう。苦笑まじりにそう考え始めたころ、背後から声がかかった。
「マキシ……?」
 心臓の一打ちとともに、湧き上がってくるものがあった。己の名を呼ぶ声に導かれ、忘却という澱んだ淵から気泡のように浮かび上がってくる記憶。……ああ、そうだったな。
 振り返ったマキシの目に入ったのは、男女の二人組。長い旅の苦楽をともにした大切な仲間だった。なぜ今の今まで忘れていたのだろうか? 彼自身にも不可解だった。キリクが再会の握手を求めて右手を差し出す。精悍さを増した顔つきに無邪気な喜びの色がにじんでいる。
「よう、キリク……シャンファ」
 口元に笑みを浮かべ、友に応えようとマキシは腕を伸ばし、そして――ぴたりとその手を止めた。

 指先と指先が触れ合う寸前、言い知れぬ違和感を覚えたのだ。目には見えないある種の電撃が走ったかのようだった。だが一瞬ののち、友の顔に怪訝な表情が浮かぶのをぼんやりと眺めながら、彼は理解していた。キリクの携えた首飾り。それはマキシの知っていた当時と形こそ変わっているものの、内なる邪気を抑えるための宝具、「末法鏡」に他ならない。そして今、彼の身体の内に収まり萎えた四肢に力を与えているのは――邪気の源、ソウルエッジの欠片なのだった。

 強いて笑みを崩すまいとしながらも手を引くマキシ。その表情からキリクたちも異変を感じ取ったのだろう。あるいは気づいたのかもしれない、微弱ながらマキシの身体から邪気が発せられていることに……。驚きに目を見張るキリク。彼は訴える。末法鏡の力をもってすれば邪な気を正し、清めることもできるのだと。
「いや……こいつは、俺の身体の中に埋まっちまってる。取り出せねぇのさ」
 それに、こいつがなけりゃ、俺の身体は……。一歩、後ずさった。風が強まっている。流雲が飛ぶように走り、短い、だが激しい雨の到来を予感させた。
「悪いな……お前達とは、行けそうもない」
 なおも呼びかける声に背を向け、彼は墓地をあとにした。

 

 街には戻ることなく林へと入り、驟雨を避けていたマキシ。物思いに沈む彼の下を訪れる者があった。
「何の……用だ?」
 言葉と同時に得物を構え、威嚇の意味をこめて一振りする。だが、招かれざる客は飛びすさって鋭い一撃を避けた。
「おぉっと、ご挨拶だなぁ」
 あわてたような声の主は、尋常ならざる雰囲気を漂わせた少女だった。闇に墜ちた人間だけが身にまとう、黒く邪悪な空気――。それは異形の者どもと同じ、邪に染まった存在に違いなかった。
「そんなに邪険にしないでよ。私とあなた、お仲間みたいなものじゃない?
 あなたの居場所、すぐに分かったよ。とってもいい匂いをさせてるんだもん」
 からかうような口調で告げる少女に、無言の殺気をぶつける。だが剣呑な視線にも動じた様子なく含み笑いを漏らした少女は、不意にすっと目を細めた。
「知ってるよぉ? あなたが追っている泥人形のこと」
 激しい雨にむせぶ常緑樹の林の下、常より暗い帳の内にあってなお、影絵のようにくっきりと切り取られた闇の塊――邪剣の使途が、妖しく囁く。彼の追い求める仇はさらなる力をつけていること。今の彼の力ではかの怪物を倒す望みはないだろうということ。可能性があるとすれば、ただひとつ。ソウルエッジ――邪剣の力をもってするよりないであろうということ……。

 雨音を破って、岸に砕ける波の音がかすかに聞こえてくる。張り詰めた殺気。依然、互いが互いの間合いに身を置いている。得物が交差するとなれば、いずれかが倒れるのも必定と思われた。
(すごい! すごいよ……!)
 邪剣の使者、ティラは表面上は平静を保っていたが、内心は小躍りせんばかりだった。この男は予想以上の逸品だ。欲しい。ソウルエッジの存在を示唆したことは賭けだった。仇討ちを成した男は、次には彼女の主である邪剣そのものを葬ろうとするだろう。体内に邪剣の欠片を宿していながら正気を保っている存在。危険な因子だった。だが、欲しい。その危うさこそが……かの強き魂をより魅力的な贄としているのだから。

 マキシは殺意を発しつつも無言のままであったが、その表情が問うているものは明らかだった。獲物が誘いに乗ってきたことに満足し、少女は舌なめずりをすると、最後に呪われた地の名を口にした。
「オストラインスブルクだよ! お前の仇もソウルエッジも、揃い揃ってそこにある!
 来い! 来なさい! 復讐を望む男よ! また会える時を楽しみにしているよ!」

 興奮に満ちた高笑いとともに、しわがれた鳥の鳴き声が遠ざかっていく。いつしか雨は止んでいた。しかし、黒々とした不吉な雨雲はいまだ空を覆い、天恵たる日の光をさえぎっている。
 ――決意は固まっていた。
(すまねぇな、キリク、シャンファ)
 力を求めるが故に、友との絆を断ち切ることになるとしても。卑劣な罠が待ち受けていると、知っていたとしても。そして旅の行く末には――人ならざる者の領域へと足を踏み入れるのだと、分かっていたとしても。
(暗いな……)
 ふと、気付く。林の奥へと続く道は、幾重にも折り重なる影の緞帳に閉ざされている。暗い。闇夜とまがうほどに。だが、あえて行こう。踏み出した一歩は重く、きしむような痛みを伴っている。しかし、躊躇はない。散る波の音は――遠く背後に消えていった。


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