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御剣平四郎を取り巻く“アナザー・ヒストリー”
〜「ソウルエッジ」日本架空略年表1467〜1583〜

西暦/月日日本で起こった事柄
1467応仁の乱。以後戦国時代に突入する。
1521〜中国地方備前国(びぜんのくに)守護代の浦上氏、戦国大名として台頭する。
日本各地において、一向一揆が相次いで発生する。
日系の海賊集団「倭寇」による明帝国(中国)沿岸への侵入が激化する。
1543種子島に流れ着いた南蛮人によって日本に「鉄砲」が初めて伝わる。
1555 武田氏と上杉氏による「川中島合戦」生起。
1560 尾張の戦国大名・織田信長の軍勢が、強力な今川義元の軍勢を、荒天を突いた奇襲によって桶狭間に破る。
1562.6.8 備前国の小作農家四男として、平四郎生まれる。
1568 織田信長が京入りを果す。
1573幕府征夷大将軍・足利義昭、京より追放。室町幕府が滅亡する。備前の戦国大名・浦上氏家臣の宇喜多直家が、頭首浦上宗景に対し反旗を翻す。
1574宇喜多直家は、中国地方最大の戦国大名・毛利氏と盟約を結び、“天神山城”の浦上氏を攻撃する。浦上氏は東の織田側へつき反撃。
1575織田信長は、「長篠合戦」に武田勝頼の騎馬隊を撃破する(鉄砲の集中運用)。
平四郎、両親と死別。豪族のもとで剣の道を歩み出す。
1576平四郎、浦上氏の「先備傭兵隊」に加わり、「御剣」の姓を名乗る。
1576.6備前国における宇喜多氏の2年に及ぶ攻勢は、織田方の援軍と「御剣平四郎」を名乗る男の活躍によって頓挫。
1576.7〜12勢いづいた浦上宗景は、宇喜多直家の軍勢を備前南部の“岡山城”へ押し戻す。
1577.2岡山城攻撃準備を見届ける形で、御剣平四郎は浦上氏のもとを去る。(以後彼は、各地の戦へ身を投じることとなる)
1577.3美作国(みまさかのくに)の戦国大名・尼子勝久の軍勢が、手薄な備前北部を攻撃。また、宇喜多軍への援軍に毛利方武将である小早川隆景/清水宗治が備前へ出陣、浦上勢を備前国中部に追い詰めてしまう。
1577.11浦上宗景滅亡。尼子氏の軍勢は毛利側による南北挟撃を恐れて後退した。
1578信長は中国地方征伐の為、羽柴秀吉を播磨国(はりまのくに)へ出兵させる。毛利軍によって美作南東に追い詰められた尼子勝久が滅亡。
明(中国)から、倭寇撲滅を企てる刺客が一人、日本に上陸する。この頃、南蛮と大陸から「そうるえっじ」の噂が届く。
1579秀吉の優勢をみた宇喜多直家が織田方へと寝返り、秀吉の軍勢に加わる。
1580織田方に抵抗する石山本願寺救援に向かった毛利方の能島村上水軍が、大阪湾において織田方水軍と海戦に突入。しかし、織田方の保有する鉄板で覆われた装甲船に破れる。
近江国(おうみのくに)で妖怪封印騒ぎがある。同じ近江国において“安土城”完成目前だった織田信長は興味を持ったが、妖怪退治した者の行方は、遂に知れずじまいだったらしい。
1582.3〜秀吉を中心とした織田連合軍は、備中“高松城”攻略戦を開始。膠着する戦闘に手を焼いた秀吉は、城を包囲、川をせき止めて氾濫させ「水攻め」に移る。毛利方諸大名は救援のために備中へ相次いで着陣、秀吉の軍勢と対峙する。
1582.5織田信長、自ら備中への出陣を決定。また、毛利方総大将・毛利輝元も備中に出陣する。
1582.6 本能寺の変。
1582.6.3夕秀吉の下に本能寺の変の報が届く。 ……だが、秀吉は毛利方密偵の行動を封じきることが出来ず、信長の死は毛利方に知れてしまう。
1582.6.3夜毛利方の吉川元春は、独断により“高松城”を取り囲む堤(水攻めの為の堤防)守備隊に対して夜襲を敢行。「信長死す」を連呼する吉川勢に対し、秀吉方部隊の対応は遅れてしまい、攻撃を初期に食い止めることは叶わなかった。
1582.6.4朝毛利輝元本隊以下軍勢8万5千、総攻撃を開始。堤北部を制圧した吉川勢は、正面の宇喜多直家の軍勢と戦闘を開始、秀吉本隊に対しては、北上する小早川勢が攻撃
1582.6.6「領国保全、過去の背反行為不問」という毛利方の条件を受け入れ、宇喜多直家は毛利方へ寝返る。宇喜多勢は側面より秀吉本陣を攻撃、戦闘は決定的なものとなる
1582.6.7〜織田連合軍敗北。しかし宇喜多勢に退路を塞がれる前に、秀吉勢は撤退に成功し、しかもそのまま宇喜多領である備前国を、城に放火しつつ強行突破。播磨国“姫路城”にて軍を再編すると、謀反人明智光秀討伐へと出陣する。
1582.6.11安土城炎上。
1582.6.23「山崎合戦」において明智勢は敗北し、戦の最中に明智光秀は討死。
1582.7〜以後織田方は、戦力立て直しや後継者問題の為、中国地方征伐を一時延期する。
〜1583瀬戸内海の能島村上氏は、毛利氏下で勢力を増加。織田方の脅威が去った為に、島城改築を行なう。本土の築城法に基づいた普請により、一の丸(本丸)に関してのみ立派な望楼(ぼうろう)型天守を有する城とした。能島村上水軍、秀吉方へついた瀬戸内の来島水軍との戦闘に突入。
1583.9御剣平四郎が、「そうるえっじ」捜索のために能島城を訪れる。

*注:「ソウルエッジ」に何らかの形で関係する事項は斜体になっています。

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